2019年7月31日水曜日

南海の唄ごえを追いかけて (Diggin' Amami Islands) 4

朝仁から名瀬の中央に戻ってきました。目的地はコチラ、セントラル楽器本店!

なぜかというと・・・

ど〜ん!シブい。

ど・どーん!!シブい!

おまけにドッどーん!!!
あ、こちらはお店のディスプレイでした。非売品です。


セントラル楽器はSP時代から現在に至るまで奄美の音楽シーンを支えてきた楽器店、レコードショップでレーベルを自社で運営している企業です。1985年にレコードのフォーマットとしては最後のリリース『徳久寿清 奄美を歌う』を発売して以降もカセット、CDでリリースを続けていてその数は約200タイトル!まさにしま唄界を出版、文化、アーカイブ面で支えてきた存在。


おかっぱ頭の元ちとせちゃん(15)のカセットテープ。昔タワレコとかに売ってた記憶が。


実はここには前日の夜にじんのうちさんを横目に通り過ぎたあと、閉店前にすでに来店していたのです。「昔つくっていたレコードって売っていませんか?」と聞いたところ、予想に反して普通にあったのでビビっていたのです。レジカウンターの後ろに6、7枚のレコードが・・・新品、デットストックというやつですね。

自分で聞いたくせに、これは不意打ちといえましょう。自分で聞いたくせに・・・。

予想外の事態にたじろぎ、奄美しま唄のものだけで5枚あるので写真を撮らせてもらい、どれを購入するか「頭を冷やして」一晩考えることにしていたのです。ちなみに「新民謡」とあるのは守備範囲外で、これは現代標準語で歌う歌謡曲寄りなもの。もしかしたらそういうのにこそレア・グルーヴ的な音源が眠っているかもしれない。

勝島徳朗/勝島徳朗傑作集
徳久寿清/奄美を歌う
南政五郎/南政五郎傑作集
岩切愛子・清正芳計・上村リカ/懐かしや島のうた声
この日は結局以上の4枚を購入させてもらいました。「頭を冷やした」わりにほぼ全てです。

これで真冬の奄美にまで来た甲斐がありました。心は満腹です。お財布はすっからかんです。

そしてなんと!まだレコードが他にあるか倉庫を調べてくれることに。
夢が膨らみます!お財布は急速にしぼみますが・・・夢が無限に膨らみます、ありがとうございます!
次の日連絡をもらえる約束をしました。

三線ほしいな。

つづく

2019年7月10日水曜日

南海の唄ごえを追いかけて (Diggin' Amami Islands) 3

翌日起床し、お宿のロビーを通りぬけ、朝食もそこそこに名瀬の朝仁の方へ向かいます。昨晩の「ねこのて」のおばちゃんに聞いたところ、来島する前から目をつけていた朝仁の方にあるもう一店舗にもレコードがあるとのことで。

途中、他のリサイクルショップを偶然発見しました。しかしレコードはDJの形見が少々。それにしても奄美にファンヒーターの需要があるのか・・・無いから手放したのか・・・¥4,800

トネンルを抜けぐんぐん進みます。清々しい天候のもとよい運動。

奄美大島の南部はとても起伏にとんだ地形で、トンネルが開通するまでなるまで山々によって各「しま」(集落、今でいう村より小さいアザ(字)程度の血縁、地縁社会)が地理的にお互い隔絶されていた。移動手段は舟だったそう。そんなわけで「しま」ごとに固有の言葉や方言のようなものがあり、ちょっと距離のあるしま同士だとお互い何を話しているか分からんべ?? ということもあったそう。

そのような環境の中でしま唄にも「しま」ごとに育まれたスタイルがあります。『南海の音楽/奄美』というキングレコードが1991年に出した大島、徳之島、沖永良部島から音源をチョイスしたコンピレーションがあるのですが、例えば同じ大島内の互いに距離のはなれた北大島のものと南大島のものを聴き比べてみれば、ちょっと聴き込めばその違いを容易に理解できるほど。徳之島など島自体が変わればかなり別ものになっていきます。前々回の記事で先述したように、さらに南下し沖永良部までいくと全くの別物、沖縄民謡そのもの。

まるでジャマイカとキューバぐらい違います。


ジャマイカ人:「あぁ〜わてらなんてクールなビートで踊ってんねやろう!ウンチャ♪ウンチャ♪ウンチャ♪ウンチャ♫これからはレゲーの時代やねん!」


キューバ人:「あきまへんわ〜〜あんたらケッタイなリズムよう刻んではりますわ〜、うちらはサボ〜〜〜ル!やさかいに〜」


トンネルを抜けるとそこは朝仁。リサイクルショップねこのて 朝仁本店。奥にいた店番のお姉さんに聞いてレコードコーナーを教えてもらいました。


画面をとおして見ても家感が溢れだしているレコード置き場。これからはこういうのを「家系」コーナーと命名しよう。

しま唄コーナーをガソゴソすると『上村藤枝傑作集』が出てきました。

ニュースターであった武下和平氏より少しだけ年上なれど、もうこの当時は神戸に移住していてしま唄界では「女王」として大御所扱いだったようです。昭和26年にSP盤に36曲を吹き込んでいるそう。

しかし中身なし、からっぽ。でも気にしない。ナゼナラ・・・へっへっへっ(薄ら笑み)

次に気になるレコードを発見!『第1回島ぐち発表大会』。なんでしょうか?


奄美群島の各地域の予選を勝ち抜いた猛者たちが一同に集まって「愚痴」をこぼし合う大会・・・


なんなら「愚痴」を両手につかんで互いに相手の顔面にグリグリとなすりつけ合うという地獄絵図みたいな大会・・・?


・・・ではなく、後ほど教えてもらったところによると、各々のしまの言葉を「ぐち」と呼び、スピーチの腕を競い合う大会だそうです。なんとディープなレコードでしょうか。

結局ここでは前日にひきつづき武下和平のアルバムを購入して退店。朝仁の海と腰のまがったおじいさん。

つづく