それは2年前のお盆のある日のこと。炎天下の昼下がり、なんとなく足を向けたリサイクルショップにて、誰かがお盆休みに押し入れの整理でもしたのだろうか、和装をした人物のジャケットの見慣れないレコード3枚が目にとまった。民謡のレコードだ。300円を払い、そのレコード3枚とともにそそくさと家に帰り、うち一枚の汚れをさっとぬぐって針を落としてみる。
するとゆったりとした高い音色の三線のリズムの向こうから、喉がすりつぶれるんじゃないかというような野性的でいて、滑らかな階調の裏声づかいが美しい、そんな唄ごえが聞こえてきた。その鮮烈な「南海の唄ごえ」が始まりだった。
武下和平/武下和平傑作集(改訂盤)第二集
朝崎郁恵や元ちとせは奄美出身の歌手として当然知っていはいたが、このとき「奄美民謡」という枠組があること、そして奄美民謡というのは、こーいうものなのね、と初めて意識した。
一般的にイメージされる沖縄民謡の「島唄」とはまるで違う。それが奄美の「しま唄」だった。しま唄は、しま(集落、今でいう村より小さいアザ(字)程度の血縁、地縁社会)の住民が共有し愛唱する唄の意。
とにかく耳にジャストフィットした。そしてなぜだろうか?これが「新しいもの」として聞こえてきたのだ。逆に今まで耳を通過してきたエチオピア歌謡やアジアの民謡・歌謡などのはるか遠くの地の音楽とも通底するような気もしなくもない。謎が深まーる。
ジャケットに書かれている解説や文献をあたると、武下和平(たけしたかずひら)氏は昭和8年鹿児島県大島郡瀬戸内町諸数(加計呂麻島)生まれ。奄美の「しま唄」の唄者(うたしゃ、奄美群島でしま唄の名手のこと)で、「百年にひとりの唄者」とまで言われた伝説の人物・・・ということらしい。30歳手前でこのレコードのレコーディングを行っている。その後神戸市へ移住・・・
翌月、某・房総半島にある巨大倉庫系の店でたまたま「南国の唄ごえ —奄美民謡集—」(コロムビアレコード、1962年、古い!)を発見。1,100円もするが、時代に見合わない豪華な見開きのジャケットと監修の服部龍太郎氏によるブックレットの解説が充実していたので購入。武下氏も一部参加。
解説によると奄美民謡の音階はドレファソシドの日本民謡の音階を使う(対して琉球民謡の音階はドミファソシド、いわゆる琉球音階)。いっぽう奄美民謡の歌詞には日本民謡の七七七五調ではなく、琉球歌と同じ八八八六調・三十音の詩形を使うとある。つまり上の図版に引かれた2本の線の間の島々にしか「ドレファソシド音階」+「八八八六調詩形」の組み合わせの民謡は存在しないのだ。ビックリ!しかもよく見ると同じ奄美諸島でも沖永良部島と与論島は入っていない、二度ビックリ!!
これで武下和平傑作集に感じた、もやもやとした「新しいもの」の正体をなんとなくつかめた気がした。目からウロコ、服部氏の奄美民謡解説に10ガッテン!
ちょっと調べると奄美にはローカルなレコードレーベルがいくつかあり、沖縄ほどではないが、かなりの数のタイトルがリリースされていたことも分かった。武下和平傑作集もそのうちの一枚だ。こうしたレコードの企画・生産(本土委託)・お土産などとしての販売は島のちょっとした産業として成り立っていたようだ。
ここから奄美のしま唄のレコードの存在を頭の片隅に置きつつのデ(ィ)ギンライフが始まった。その後1年半が経過し、釣果はというと・・・下北沢で出ました!1枚だけー。 あっ、リアル店舗でのあまりの出なさ加減にヤフオクでビットしまくった2枚については、何卒ご勘弁ください(世の中には少なからず酔狂な同士がおられるようです)。
ヒョエェェェェェェェーーーー!!!出てこない奄美のしま唄が!
どいうことでしょう?最初に出た3枚は死神の落とし物かなにかですか?本当に同じ日本で売られていたレコードなのでしょうか、エチオ歌謡の方がよっぽど出てきやがるゼ。
と、そんな悪態をついていたある日、偶然クッリクしたホームページにこんなクリスマスの広告が・・・
気がつくと購入決定ボタンをポチッとしていた、斜め上に視線をそらしながら↗↗(往復総額6000円くらい)。パイセンデ(ィ)ガーによる情報から奄美大島にはどこどこへ行くべしということで、電話で店に事前確認し目星をつけておいた。タイトスケジュールである。
真冬に南海の唄ごえを追いかけて。
つづく
出典、参考文献
『「唄う島」奄美と音楽メディア事業 —島唄・新民謡・ポピュラー音楽のレーベルを軸に—』加藤晴明
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