2019年7月10日水曜日

南海の唄ごえを追いかけて (Diggin' Amami Islands) 3

翌日起床し、お宿のロビーを通りぬけ、朝食もそこそこに名瀬の朝仁の方へ向かいます。昨晩の「ねこのて」のおばちゃんに聞いたところ、来島する前から目をつけていた朝仁の方にあるもう一店舗にもレコードがあるとのことで。

途中、他のリサイクルショップを偶然発見しました。しかしレコードはDJの形見が少々。それにしても奄美にファンヒーターの需要があるのか・・・無いから手放したのか・・・¥4,800

トネンルを抜けぐんぐん進みます。清々しい天候のもとよい運動。

奄美大島の南部はとても起伏にとんだ地形で、トンネルが開通するまでなるまで山々によって各「しま」(集落、今でいう村より小さいアザ(字)程度の血縁、地縁社会)が地理的にお互い隔絶されていた。移動手段は舟だったそう。そんなわけで「しま」ごとに固有の言葉や方言のようなものがあり、ちょっと距離のあるしま同士だとお互い何を話しているか分からんべ?? ということもあったそう。

そのような環境の中でしま唄にも「しま」ごとに育まれたスタイルがあります。『南海の音楽/奄美』というキングレコードが1991年に出した大島、徳之島、沖永良部島から音源をチョイスしたコンピレーションがあるのですが、例えば同じ大島内の互いに距離のはなれた北大島のものと南大島のものを聴き比べてみれば、ちょっと聴き込めばその違いを容易に理解できるほど。徳之島など島自体が変わればかなり別ものになっていきます。前々回の記事で先述したように、さらに南下し沖永良部までいくと全くの別物、沖縄民謡そのもの。

まるでジャマイカとキューバぐらい違います。


ジャマイカ人:「あぁ〜わてらなんてクールなビートで踊ってんねやろう!ウンチャ♪ウンチャ♪ウンチャ♪ウンチャ♫これからはレゲーの時代やねん!」


キューバ人:「あきまへんわ〜〜あんたらケッタイなリズムよう刻んではりますわ〜、うちらはサボ〜〜〜ル!やさかいに〜」


トンネルを抜けるとそこは朝仁。リサイクルショップねこのて 朝仁本店。奥にいた店番のお姉さんに聞いてレコードコーナーを教えてもらいました。


画面をとおして見ても家感が溢れだしているレコード置き場。これからはこういうのを「家系」コーナーと命名しよう。

しま唄コーナーをガソゴソすると『上村藤枝傑作集』が出てきました。

ニュースターであった武下和平氏より少しだけ年上なれど、もうこの当時は神戸に移住していてしま唄界では「女王」として大御所扱いだったようです。昭和26年にSP盤に36曲を吹き込んでいるそう。

しかし中身なし、からっぽ。でも気にしない。ナゼナラ・・・へっへっへっ(薄ら笑み)

次に気になるレコードを発見!『第1回島ぐち発表大会』。なんでしょうか?


奄美群島の各地域の予選を勝ち抜いた猛者たちが一同に集まって「愚痴」をこぼし合う大会・・・


なんなら「愚痴」を両手につかんで互いに相手の顔面にグリグリとなすりつけ合うという地獄絵図みたいな大会・・・?


・・・ではなく、後ほど教えてもらったところによると、各々のしまの言葉を「ぐち」と呼び、スピーチの腕を競い合う大会だそうです。なんとディープなレコードでしょうか。

結局ここでは前日にひきつづき武下和平のアルバムを購入して退店。朝仁の海と腰のまがったおじいさん。

つづく

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